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1.守の事その1

 守は、自分の名前の由来を知らなかった。
 彼の両親は、彼が小学五年の時に相次いで病死した。その前に、一つ上の姉も、小学1年生で亡くしていた。山梨の実家の近くに、父の弟夫婦がいて(子供はいなかった)、良く行き来していたこともあり、そのまま引き取られ、中学、高校、そして東京の大学まで進学した。
 友達には、便宜上父や母と呼んでいたが、面と向かってお父さんやお母さんと呼ぶことはなかった。まだ、両親が生きていた時と同じように「まさるさん」、「ようこさん」と呼ぶことが当たり前だったのだ。当時お茶の水にあった大学に進学すると、守はすぐに塾のバイトを中央線の途中駅で見つけ、そこから3年半し続けた。途中で家庭教師も追加したので、週の大半は11時近くに帰宅した。大学2年からは毎月3万円を食事代として養父母に渡した。それが、当たり前だと思っていたのだ。
 高校までとは何かが違う。近所の喫茶店やコンビニのバイトもしたが、自分の服や靴の購入費用としていた。家には入れなくていいからとようこさんに言われていたので、とにかく貯金して、数か月に一度ユニクロでアウターを選んで買ったのだった。
 登下校で一緒になる同級生はいたが、いっしょに遊びに出る程の友達はいなかった。それより、勝さんのハウスの手伝いの方が楽しかったし、空いた時間は図書館や学校の図書室で借りた本を、部屋でラジオをつけながら読んでいる方が好きだった。
 ラジオはたいていFENか、洋楽の全米ヒットチャートものをつけっぱなしだった。自然と英語も好きになって、成績も国語よりも大抵上回った。
 特に彼女はいなかった。他人の機嫌をどうして取らなければならないのかと面倒臭かったのだ。
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0.ある回想

 ブルース・スプリングティーン(1949年、アメリカ出身)が「ボーン・イン・USA」を全米1位にした1984年の僕は、まだ社会人6年目で、毎日アパートは寝に帰るだけのハードな日々、自分は何者で、何者になるのかも考える余裕はなかった。ブルースの歌は、あと「USA for Africa」くらいしか知らない。ジム・クロウチの「I Got a Name」みたいだ。
 今より、世の中の見え方は単純だった。真面目に、言われた仕事をこなしていけば、昇給も昇格もし、結婚をして家族を持ち、30にしてアパート暮らしからは卒業して家を買う。ローンを組む。あとは、仕事まっしぐらだ。そのうち、人の上に立つことになり、会社の行く末にも一定の発言力を持つ位置となる。そして、定年。振り返ると、短いなぁ。「日本に生きて」。[晴れ]
タグ:回想
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やっぱり最初はPCネタから

まだ見ぬ、多くの皆さんへ。
こんにちは!
「男もすなるもの~」ではありませんが、
こういうことも大事かなとプログを始めてみました。
なんてこともないけれど、
春先のポカポカした公園のベンチで、ふと知り合った散歩好き
ってな感じでどうぞお付き合い下さい。

よろしくお願いします。

日本が、アジアが自然災害で大変です。
被災された方々には一日も早く「普通の生活」に戻れるようお祈りします。

ITが進む現代社会ですが、だからこそ人間を、自然を大事にしなくちゃね。

さて、私のPC生活を紹介します。
出会いは、80年代前半に富士通から発売されたFM-NEW7という
BASICが走る8ビットコンピュータでした。
本体は10万円を切る価格でしたが、外付けのFDやドットプリンタ、
ワープロソフトも揃えたら30万円もかかってしまいました。
ふー。
主に仕事で(!)ワープロを使ってましたが、
趣味でゲームやOS9(8ビット上で動くマルチタスクのOS!)を
走らせてました。
リサイクル法施行のギリギリまで我が家にありました。
その後、モトローラつながりでマックに移り、
最近はXPに変わったウィンドウズマシンを購入しました。
今では一応バイリンガルですが、
十数台のPCに囲まれ、「世話」に明け暮れる生活をしています。

PCはコミュニケーションツール…といっても
今ではケイタイにその座が奪われてますね。
私にとっては子供みたいなものでしょうか。
(といっても生身の子供はいませんが)
まぁ、「こんなセイカツもある」と
様々な「思いつき」とともに徐々にご紹介していけたら
と思います。
じゃあね!


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